WAIGEN

S極(SENRITU)+
N極(NOIZE)=
WAIGENMODORU

歪談 / 2016 新春ビッグ歪談

歪談
歪弦メール談義 いったいいつになったら「激動」の年から抜けれるのか、
つうか有史以来、激動じゃなかった年なんてあるのかしら?
なんて思わせるぐらいまた激動だった2015年
歪弦の2人が新しい年の門出を祝う新春談義
横浜⇔宮崎の往復電子書簡ノーカット


くにや:くぅおーじまさぃんぐっ!
On 2015/11/24, at 21:25


小嶋:そうです、私がくぅおーずぃまです!
そんなあなたはくぬぃいぇやさん!
On 2015/11/24, at 23:40


くぬぃいぇや:くぅおーずぅまんちゃん!
時がきました!我慢して我慢して今、
送られてきたCDを開封してきいております。
そ、歪弦のSAIKAIです!
何かこれ、音楽というよりなんつうか、
それを超越して本気だけしか伝わらない気がします。
人間力というか。
On 2015/11/29, at 20:46


ウォーズマン:確かに。音楽というより呪術、、、。
そうっすね、呪術のような音楽が出来たらまた別の世界へ行けそうですね。

やはり、別の世界に行くのが音楽の醍醐味だと思うのです。
いきなりまとめみたいになっちゃいましたが、、、
別の世界。
例えば簡単なところでは、日常を忘れてちょっとした非日常を体験したり、
もっと深入りできれば、その音から何かを想像して何かの創作活動に結びついたり。
我々を目撃することによって何か考え方が変わるなり。+にせよ-にせよ。

極端な話、世界っておそらく考え方ひとつ変われば
別の世界になるようなものですからね。
って何の話かいきなり混迷の度を深めてしまいましたが。

あのライブ、人間力をかなり放出できていたと思いますが、グニヤさんどうでしょう?
間違いなく演奏の間はあそこにいた誰もが音楽の"演奏技術"というものを
忘れていたのではないかと思うのです。
それって非常に音楽の正しい本来のあり方じゃないかと思います。
On 2015/12/01, at 23:39


グニヤ:あの、ときどき自分、人の耳をみた時
なんでこんな何とも言えない不思議な形なんだろって思ってしまって
日常がグニャっと曲がるみたいな感覚があります。
耳の形に限らず結構そう思うことがあり、
日常の中には結構、ゴロゴロ歪な非・日常が転がっていると思います。
日常と非・日常が地続きというか
仕事で結構忙しいときでも、「あ、冬の鳥が飛んできた」とか見て思ってしまうし、
それだけで何だか音楽だなと感じてしまいます。
だから日常とは自分にとって言い換えれば
社交というか、忙しいときに「みて冬の鳥ですよ!」て言えないし
ライブはそんな事を思いっきし遠慮なく伝えれるって意味でやっぱし
非・社交的、非・日常的な場なのかなって思います。

そうそう、あのSAIKAIのライブラストで自分がドラムを4分くらい叩き続けた曲で、
あの時は絶対にテンション下げずにやり切るど!って気合い入れてたんですけど、
あとで音量の波形を見てみたら最初だけ威勢よく、それは顕著に下り坂になっていて、
おれはこんなもんかと打ちのめされました。(笑)
今まで人間力って何か勇ましいイメージだけがあったんですが、
そういうダメさとか己の限界を魅せることも引っくるめて
人間力に含まれるのかなぁと思えました。

だから変に繕うとせずにダメでもいい、囚われずその時一所懸命やれば
その人なりの人間力の形がみれて面白いのにもったいないですね。
みんなもっとやればいいのにこの世にもっと今、
面白いものが生まれていいはずなんですが、
そこんとこどう思います?てっちゃん!
On 2015/12/07, at 21:23


てっちゃん:日常って要は決まり事のことなんでしょうね。
("不謹慎"なんて言葉も思い浮かびますが)
こういう時はこうしましょうよ、そうすれば社会はスムーズに行きますよ、
あんまり本筋から外れたことはしないで下さいねってなやつ。
それはそれで社会生活を営む上でとても必要なことですけど、もしかしたら実はそれは結構幅の狭い道で、
ちょっと踏み外したらすぐ非日常ゾーンに入ってしまうのかもしれないっすね。
寝るときに見る夢の世界がカオスなように。

そうして日常の時に非日常に少しでも触れるとちょっとした自由が味わえるもんなんでしょう。
ドアーズのジム・モリソンが歌ってた
"Break On Through To The Other Side"て歌詞はそういうことなんでしょう。イコール自由。

まあ各個人が勝手にてんでバラバラに非日常に突入しないように、
祭りとか社会的な非日常イベントがちゃんと用意されてるんでしょうね。
ここで非日常を楽しんで下さいよ、的なお膳立てされた。
そうすると俺のような"へそ曲がり"はそんなんじゃ満足できない!、、、となるわけです。(笑)
そう考えるといわゆるアーティスト(という言葉のくくりはあまり好きじゃありませんが)は、
「勝手気ままに非日常に行ったり来たりしようとする(イカレた)奴ら」ってことなのかもしれない。(笑)
普通は、映画見たり小説読んだりテレビを見たり旅行に行ったりで非日常を体感して満足するのだけれど。

ただ普通の人にとって非日常である"旅"が、旅人にとってはそれが日常になったりするように、
なんか案外リバーシブルなものなのかも。結構心の持ちようで。

ってなんか正月からやっぱり堅い話になりましたね。やだやだ。(笑)
耳の話もすると長くなりそうだな~。(笑)

人間力。
その波形の下り坂っぷりは俺は好きですけどね。(笑)
一生懸命やれば必ず限界が現れてきますからね。
俺もこの間のGOUPILレコ発の長丁場ライブで、
「最後の方、小嶋の筋トレ見せられてるのかと思った」って冗談交じりに言われましたからね。(笑)
否応なしの体力の限界とのバトル。
あれは、でもスタミナを付けて解決しようとしても、その付いたスタミナ分張り切ろうとするから
結局最後は限界&息切れになるんじゃなかろうか、とも思ってしまう。(笑)
あと、一生懸命さやひたむきさってたぶん演技できないもんなんですよね。
演技したところでバレちゃうんですよね。
だからジョー・ストラマーのライブはグッと来る!(笑)


あ、そういえばあの"SAIKAI"の音源の中で
俺が無意識にしたことで、"あっ"と思った場所が1か所あったんですけど
クニチャンヒデチャン、何だかわかります?(笑)
スーパーしょうもない部分で。
On 2015/12/13, at 20:43


クニチャンヒデチャン:出る杭は打たれるって言葉が嫌いでホントそう思うんだけど、
旧態依然のおっさんたちが疲れてあきらめるぐらいピョコピョコモグラ叩きみたいに
みんなで飛び出していったら、面白いと思うんですけどね。
まあ個人としては、何回打たれても飛び出す逞しさを持ち続けたいんですけど。

でぇーも、非日常を求める手段て
一般的に「金」を使いがちですよね。パチンコやらホステスにつぎ込んだり。
で、おれ何かの番組でダウンタウンの松ちゃんが
インタビューアーに「何でお笑いやってるんですか?」て質問されて
「タダで出来るからやね」って答えを聞いた時、かなり揺さぶられ悔しいと思いました。

好きなことやることって金に限らず、あまり「物」を仲介しないほうが良いと思うんです。
野球と比べてやろうと思えば、サッカーはボールひとつで出来るし、
あの道具が良いからって言い訳もあまり出来ないから。
よりやりたいことに近づくというか、そういうことに惹かれます。
ギターを弾くっていってもまずギター本体を買って
そのあと弦代やら金がかかりますし。
音楽を選んでしまい、それをやってるから仕方ないんですけどね。
まぁその時は悔しい思いを持ちました。

うーん、人間力って考えれば考えるほど深いですね。
2015年はまた惜しまれて水木しげるや野坂昭如、安藤昇など
人間力がありすぎる人たちが亡くなった年でもありました。
ジョーストラマーもですけど、ずーと惜しまれてますよね。
人間はどこかいつまでも他の人間の力を求めるんですかね?やっぱし。
優しさや思いやりは枝葉であって、人間力を幹にして人間は立っている気がします。
いかに太くしようかと。

ん、無意識でやったこと??
自分も無意識だったんで分からんです!
なにかなぁ
加トちゃんテッちゃん教えてください。
On 2015/12/20, at 19:52


しよつてまじこ:正解は、、、

「演奏が終わった後、小嶋がくにやさんを紹介するMCで
普段 "さん" づけでしか呼んだことなかったのに
なぜか無意識に "くにやくんです" と言ってしまったこと」

でした!(笑)
しょーもなっ。

すごいしょうもないことですが
言った瞬間(あっ、無意識のうちに今 "くにやくん" って言った俺!)と思いました。

なんだ~、ちょっと対等を装いたかったのか?俺?
親しい感じを出したかったのか~?俺?
と、思い出してほんの少し恥ずかしくなりました。(笑)

そこんところ、気付いてました?
(あっ、"くん" づけで呼ばれた、、)とか。

どうです、くにやさぁーん!!!
On 2015/12/25, at 22:46


パプアニューくにや:そら知らんかったです、なるへそ!
あの時、紹介されてる感は感じてたんですが。

ちょうどいま、早川義夫の本を読んでて
「理屈より感情の方が正しい」という言葉があったんですが
そういうことかも知れませんね。
On 2015/12/27, at 10:15


コジマッドマックス:なるへそ。
感情も確かに、人間としてのレベル(?)が上がった状態なら
理屈を超えるかもしれません。
ただし、ただのアホが理屈もほっぽり出して、アホな感情をぶちまけるだけでは
きついものがあったりもしますし、誰でも感情さえ発露すればいい、とは思えないのも事実であります。

話は戻りますが、

俺も最近よくYouTubeで松ちゃんのVISUALBUMあたりのコントを見てるんですが、
あの頃、コントにめちゃめちゃ金かけてますね~。
確かに漫才の時は、"タダ"ですけどね。(笑)
一人ごっつとかでまた安上がりになりますが。

でも、何だかんだで我々の楽器もかなり最低限の仕様だから
なかなか良い線いってると思うんですけどねえ。(笑)

俺のちょっとした憧れ(というか、イカすなぁと思う)のスタイルのひとつにチャック・ベリーがいるんですけど、
あれくらいギター1本で充分さ、ってのは良いですね。
確か、ギター1本持って(下手すりゃギターすら現地調達で)、
自分の曲は全世界の人が知ってるから、バンドも現地調達して演奏するだけ、という。

シンプルです。
俺がエフェクターを使わないのも実はその辺のシンプル思想があるからだと思われます。


思ったんですが、
人間力の話に戻ると、
水木先生をはじめ、人間として幹が太い人に共通して言えることは、

「人の意見に耳を貸さない」

これかもしれません。
もちろん普通の社会生活においては思いっきりマイナスに取られる姿勢ですが、
これは表現をする上では非常に重要だと思うのです。
野坂昭如なんか人の意見聞かなそうですもんね。

オリジナリティを追求しないのなら全く関係ないことですが、
もし追求するのであれば、確実にその人は自分の内面の旅をしなければならないわけで
その時に、人からのアドバイスを参考にするなんて全くもって意味の分からないことです。
だって、どこにもないものを作ろうとしているのに人に聞いちゃってどうするの、っていう。
"僕どうしたらいいんでしょう?" ってそんなのお前にしかわからんわい!っていう。
人の意見を聞けば聞くほど、その元にあった情熱の魂のようなものが薄まっていくのは
容易に想像できることです。

確か松ちゃんも放送室か何かで
"表現する人間がオリジナリティを追求しないでどないすんねん!" て言っていた気がしますが、
本当にその通りだと思います。
"この世には本当にオリジナルなものなんてないんだ" なんて斜に構える人もいますけど
俺は、あんまり好かんです。
だったら最初からやるなよと思ってしまう。

地球に70億人だかいて、ひとっりも同じ人がいないんです。
オリジナリティがないわけないだろう、と。


パプアさん、また話が硬くなってしまいました!(笑)
んばばんばんば!
On 2015/12/27, at 21:10


パプアニューヤマダくにこ:正確には早川義夫じゃなくて
早川義夫の奥さんの言葉なんですけどね、
「理屈より感情の方が正しい、私テーブルひっくり返しますから」って。
確かに犯罪者には使えん恐ろしい言葉です。(笑)

笑いはタダで出来るってまたよく考えたら、音楽もタダに近い形で出来ますね。
アフリカの原住民の音楽とか。楽器木の実とかだし。
人前で漫才するならある程度の装いをしなくちゃいけないけど、
原住民だったら限りなく裸に近い格好だから服装に関していえば
音楽に軍配が挙がると思います。なんのこっちゃ(笑)

チャックベリーそうなんですか、めっちゃ手ブラ思考ですね!
狭いラーメン屋でカウンター席に座ったとき
後ろの通路に置いたギターに気を使わなくていいですね。
それは理想です。
旅先ではパぁーと騒ぎたく余計な気を使いたくないからかも知れません。
チャックベリー。

あ、今年7インチレコード作ったときのこと思い出しました!
母親から10何万もかけて作るなって。
でも、借金してでも「今」作りたかったし、その意見を無視して作り通しました。
そのときそんなこと言われたぐらいで考えを改めるぐらいならダメだとも思いました。
てか、どしてん話が硬くなりますね(笑)
今年は柔目に始めようとモチついたつもりなのですが、
あ!でもモチも段々硬くなっていきますね!
つく毎に。正月にはカチカチになります。
で7日には、この歪談も七草がゆにぶち込んで喰えば良いと思います。
きっとそういうもんでしょう。
てか、気づいたらもすぐ大晦日ですな!
はやっ
On 2015/12/30, at 12:22


カレドニア:
そうだ、大事な7インチについて聞くのを飛ばしてしまった!(笑)
初ライブのあの時楽屋で出来立ての原版を見せてもらったんですよね。
人生においてアナログ盤を作るのは貴重な体験ですよね。
GOUPILなどでもいつの日か作りたいと(ずっと)思っております。

もう明日は大晦日。
2016年、歪弦としてのアジェンダは一切掲げませんが(笑)
カチカチに堅くなりがちな頭を音楽その他諸々の手段を使って
柔らかくフニャフニャにして行けば
きっと明るい良い年になることでしょう!!

そうですよね? フニャさん!


っていうか、あれだ!
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたしします。(書いてるのはまだ2015年12月30日ですが(笑))
On 2015/12/30, at 13:44


パプアニューフニャ:そうですね!
ではここで歪弦を代表としてというかそういうターンが回ってきたんで
遅くなりましたが、わたくしフニャが皆様に新年のご挨拶を
述べさせてもらいたいと感じています。

みなさま、ホントに
新年明けましておめでとうございます。
みなさまにとっても、ネコにとっても
雑草、バクテリアにとっても
良き1年になりますよう
歪弦を代表としてというかターンが回ってきたんで
心よりお祈りを申し上げます。

名も知らない惑星にいる
異星人の数少ない歪弦ファンの方にも
どうかの祈りが届きますようお祈りを申し上げます。
というか、そちらでは太陽暦じゃなくて
新年じゃないかも知れませんが、こっちじゃそうなんです。
今年も1年、歪弦をヨロシクおねがいしま~す!
On 2015/12/30, at 14:23